御朱印集め 金戒光明寺(Konkaikoumyouji):京都
浄土真宗 最初門
「法然上人が最初に浄土宗の布教を行った地」という意味になります。
【金戒光明寺】
金戒光明寺の入り口である高麗門を車で通り抜け、駐車場の目の前には巨大な山門があります。
金戒光明寺は浄土宗の大本山で、浄土宗の七大本山の一カ寺となります。また、別名「黒谷さん」とも呼ばれ、比叡山の黒谷が由来となっていて、現在では所在地名にもなっています。
山門は室町時代に起こった応仁の乱により焼失してしまいましたが、江戸時代末期に再建され現在に至っています。
山門を抜け、境内の正面には御影堂があります。
いわゆる本堂に当たります。
昭和時代初期に火災により焼失しましたが、その後再建され現在に至っています。
堂内に入りお参りをしました。
御本尊は阿弥陀如来となります。
金戒光明寺は開山した法然上人を祀っていることから法然上人二十五霊場の第二十四番所となっています。また、阿弥陀如来観音を御本尊とすることから洛陽三十三所観音霊場の第六番所となっています。
御影堂ないにある受付にて御朱印を頂戴しました。
【京都守護職本陣】
金戒光明寺は江戸時代には徳川幕府より敷地内に白壁を張り巡らせて城郭構造に改築されました。
幕末には会津藩主が京都守護職に就任し、京都所司代・京都町奉行・京都見廻役を傘下に置き、金戒光明寺は京都守護職の本陣となり1,000人もの兵士が常駐するようになりました。それでも人手が足らなかったため、新選組をその支配下に置き京都の治安維持に当たらせました。
金戒光明寺の敷地は広大で、長く張り巡らされた白壁といくつもの門が設置されていて、確かにお寺らしくない構造でした。
※浄土宗七大本山
・増上寺(東京都港区)
【アクセス】
専用駐車場あり(有料)
堂内写真撮影禁止
【参拝を終えて】
金戒光明寺は京都市内の住宅街に中に広大な敷地を擁し、白壁が張り巡らされて幾つも門がある寺院です。今思えば、城のような造りであったことが伺えます。
金戒光明寺の歴史は古いのですが、幕末が主役となってます。亡き人の冥福を静かに祈る場所であるはずの寺院が幕末の争乱の舞台となったことは皮肉なことかもしれません。幕府の命令とはいえ兵士が常駐することは金戒光明寺にとってはどのような気持ちだったのでしょうか。
古くは僧侶も僧兵として寺領を支配していた経緯がありますから、平和となった現在の寺院とは考えが異なるのかもしれませんね。
【追記】
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
また、ブックマークやコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。いつも楽しく拝読させていただいております。
新型コロナウイルスの新規感染者数は三重県では829人で前週同曜日比で+299人と増加しています。また全国では33,036人で前週同曜日比で-6,254人と減少しています。
増加傾向が続いていましたが、ここ数日は落ち着いているようです。
皆さんも油断することなく感染対策を施し、健康に留意しましょう。