前回にアップした建勲神社の続きとなります。
【宗三左文字】
建勲神社は刀剣乱舞の聖地となっている神社であることから、刀剣御朱印を頂戴できます。
宗三左文字(そうさんさもんじ)は織田信長が愛用していた日本刀で、義元左文字とも称されています。
この刀剣は南北朝時代に筑前国の左文字派の刀工によって作られたもので、元々は戦国時代に近畿地方を支配していた三吉政長(三吉宗三)から甲斐国の武田信虎へ贈られた刀でした。その後、今川義元の手に渡り、桶狭間の戦いにて織田信長が戦利品として接収したと伝えられています。
織田信長が本能寺の変にて亡くなるまで愛用されていた宗三左文字は豊臣秀吉、徳川家康へと渡り、「天下取りの刀」とも呼ばれています。
明治維新後は明治天皇の命令により建勲神社が創建されると、明治天皇が徳川将軍家から織田信長ゆかりの刀剣ということで寄進され、建勲神社が所蔵するようになりました。
【薬研藤四郎】
薬研藤四郎(やげんとうしろう)も織田信長が愛用していた短剣で、鎌倉時代に京都の粟田口の刀工・藤四郎吉光によって作られました。
薬研藤四郎の最初の持ち主は諸説あり定かではありませんが、室町時代の守護大名であった畠山政長と言われています。
名前の由来は畠山政長が敗戦の際に切腹しようとしたが、腹に刺さらなかったため、本刀を投げ出したところ、近くにあった薬研※1)を貫いたことから薬研藤四郎と呼ばれるようになりました。
その後、足利将軍家・松永久秀に渡り、織田信長に贈られました。
織田信長が亡くなってからは、豊臣秀吉、徳川家康へと渡りましたが、その後の消息は不明で薬研藤四郎は現存していません。
※1)薬研
薬剤を磨り潰して粉末にしたりする器具
【最後に】
京都刀剣シリーズの御朱印は4種あり、今回の参拝で3種類が集まりました。
藤森神社で頂戴した御朱印
残るは豊国神社だけとなり、早くコンプリートしたいものです。(-_-;)
【追記】
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
また、ブックマークやコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。いつも楽しく拝読させていただいております。
新型コロナウイルスの新規感染者数は三重県では399人で前週同曜日比で-251人と減少しています。また全国でも58,588人で前週同曜日比で-24,768人と減少しています。
随分と感染者数も減少してきて、ピークアウトとなっています。
皆さんも油断することなく感染対策を施し、健康に留意しましょう。