三佛堂
【三佛堂】
長命寺境内には本堂の他、いくつかの堂宇があります。
本堂左手には三佛堂があります。
三佛堂は平安時代中期に本堂に続き建立されたもので、鎌倉時代後期に再建され江戸時代中期に改築されています。
格子の隙間から三仏を覗くことができます。
中央に阿弥陀如来像が安置されていて右に釈迦如来像、左に薬師如来像が配置されています。
【三重塔】
また本堂右手には三重塔があります。
三重塔も平安時代中期に本堂に続き建立され、鎌倉時代後期に再建されています。
こけら葺きの屋根に全面丹塗りの堂宇となります。
長命寺の堂宇は丹塗りされているのですが、三重塔の丹塗りはしっかりと塗装されていました。比較的あたらいいい塗装なのでしょうか。
京都の宇治平等院も新しく丹塗りされていて、同じ色合いであったことを思い出しました。
神社などでよく見る鮮やかな朱塗りよりも丹塗りの方が茶系に近く落ち着いた感じがしますね。
本堂内にある受付にて御朱印を頂戴しました。
その他にも近江七福神の毘沙門天の御朱印を頂戴することができます。
【参拝を終えて】
長命寺は本堂だけでなく多くの堂宇が建立されています。
長命寺は比叡山延暦寺西塔の別院であったことや織田信長の上洛する際の通り道であったことから、焼き討ちの対象となっていてもおかしくなかったのではないでしょうか。
ここで織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちについて勉強してみます。
①比叡山延暦寺が戦国大名ほどの一大軍事力を誇っていて、織田信長が上洛するには邪魔な存在であったこと
②姉川の戦いにより織田・徳川連合軍に敗れた浅井・朝倉連合軍の兵が比叡山延暦寺に逃げ込んでかばったこと
⓷比叡山延暦寺の僧兵のほとんどが傭兵であって、肉を食い酒を呑み、金品を奪い、女をさらうなどの無法者集団であったこと
これらの理由から織田信長は比叡山延暦寺を攻めたわけですが、このことを考えると長命寺は全く該当しなかったのでしょうね。
【追記】
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
またブックマークにもコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。いつも楽しく拝読させていただいております。
※yahoo JAPANホームページより引用
新型コロナウィルス感染者数は5月5日現在で三重県は2,637人となり、激減してきました。
※yahoo JAPANホームページより引用
国内全体でも337,000人となり減少傾向が続いています。
ゴールデンウィークは多くの医療機関が休んでいますので、感染者数報告は少ないのかもしれませんね。
ワクチン接種は3回目のブースター投与が始まり、67百万人(全人口の53.1%)が接種を終えましたが、徐々に接種ペースが落ちているようです。
皆さんも油断することなく感染対策を施し、健康に留意しましょう。