御朱印集め 六波羅蜜寺(Rokuharamitsuji):京都

六波羅

 

 

六波羅蜜寺

京都市東山区にある六波羅蜜寺を参拝しました。

六波羅蜜寺の創建は定かではありませんが、平安時代中期に空也上人が開山しました。六波羅蜜寺と称されたのは空也没後となります。

空也上人は当時平安京で流行した悪疫退散のため、自分で彫り上げた十一面観音像を荷車に乗せて平安京の街を曳き回り、念仏を唱え病人に茶をふるまい多くの人を救いました。

正面は門が閉じられていますが、左側から入場します。

本堂に向かう前に願石があります。
六波羅蜜寺と刻まれた石柱に車輪のような輪があり、祈りを込めて三周回すと願いが叶うそうです。

六波羅蜜寺空也上人の没後、高弟により繁栄を極め豪華絢爛な天台別院として栄えました。平安時代末期に平家との繋がりが出来てからは、寺領内外に平家一門の屋敷が5,200棟も建てられました。

平家が都落ちした際には火災が発生し、本堂を残して諸堂等は全て焼失してしまい、当地には鎌倉幕府が京都守護のために六波羅探題を設置しました。

鎌倉・室町・安土桃山・江戸時代と幕府により保護され大伽藍を連ねていましたが、明治維新の際に廃仏毀釈を受けて大幅に縮小され、現在に至っています。

本堂は朱塗りで、上部には美しい色彩が施されています。

昭和時代に解体修理が行われ現在に至っています。

堂内に入りお参りをしました。
御本尊は十一面観音となります。秘仏のためその姿は見る頃はできませんでした。

堂内にある授与所にて御朱印を頂戴しました。

 

【アクセス】

 

京都市東山区五条通大和大路轆轤町81番地轆轤町81-1

専用無料駐車場あり

URL:https://rokuhara.or.jp/

本堂内撮影禁止

 

【参拝を終えて】

六波羅蜜寺は今でこそ本堂と小さな堂宇を残すのみとなってしまいましたが、最盛期は栄華を誇り豪華絢爛な伽藍群が形成されていました。本堂のような朱塗りで極彩色の施しを行った堂宇がたくさん建ち並んでいたことを想像すると荘厳だったことでしょうね。

また、平安時代には鴨川沿いのこの辺りは遺体の捨て場(葬送場)でもあったため、空也上人は600名もの僧侶を集め、大供養会を催し夜には五大文字を灯して大萬灯会を行ってその霊を供養したとされています。

suzukasjp.hatenablog.com

なお、この大萬灯会は「五山の送り火」の原型になったとも言われています。(諸説あり)

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六波羅蜜寺の住所は「轆轤(ろくろ)町」となっていて、この地域が葬送場であったことが伺えます。また近くには冥界への入り口とされている井戸がある六道珍皇寺があり、死後の世界観に興味のある方はぜひご参拝されてみてはいかがでしょうか。

 

【追記】

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
またブックマークにもコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。いつも楽しく拝読させていただいております。

新規感染者数は三重県では739人で前週同曜日比で-1,060人と減少しています。全国でも42、181人で前週同曜日比で-35,190人と減少しています。

全体的には減少傾向となっていますが、まだまだ感染者数は多いので、皆さんも油断することなく感染対策を施し、健康に留意しましょう。